華蓮ヒストリー

 グレイだった10代~30代

子供時代は今から振り返ると抱きしめたいほど哀しみの多かった時代でした。よく乗り越えてきたな~と想っています。
しつけの厳しい家で長女として育ったため、勉強ができる真面目な子でしたが、目立たず、人前に出ることなどほとんどありませんでした。
でもあの時代があるから、今の自分があると思っています。

卒業後は、商社に勤務し、24歳で結婚。
数年が経った頃「何か違う」と思い、離婚しました。

その後、再婚し、二人の息子を授かりました。しかし、次男を出産した直後に主人が脳卒中で倒れ、意識が戻らないまま長期入院となりました。
30代は二人の息子を一人で育て、主人の看病に通っていました。息子の不登校などもあり、自分自身がドラマの中の世界を生きているように感じた事もありました。

 

自分のために生きようと決めた40代

40代になり、子どもと主人の事に人生を捧げるのではなく「自分のために生きよう」と思うようになりました。そこで俳句に出会い、季節の移ろいや自然の美しさに対する感性が高まりました。
やるなら一番を目指したいと思い、月の半分を句会に賭けました。NHK俳句俳壇の特選句に選ばれたり、全国俳句大会に入選したこともありました。
またダンスも習い始め、世界がさらに広がりました。

 

人生を変えたカラーとの出会い、そして赤の時代へ

50代になり、子どもが成人するとさらに自分の好きなことができるようになりました。
ケイコとマナブを見て、最初は軽い気持ちで、似合う色を見つけてもらおうとカラースクールに行きました。
そこで、色の楽しさに魅了されカラーについて学ぶようになりました。55歳で色彩検定1級を取得し、さらに色彩心理を学んでカラーセラピストにもなりました。

カラーを学んでいく中で、赤を意識するようになってから人生が変わりました。強い意志、情熱、行動、勇気を赤からもらいました。積極的に赤を取りいれるようになって、どんどんと今の私が出てきました。以前は人の後ろが良いと思っていた私でしたが、今は一番が大好きになりました。
なんでも選ぶなら赤。そこから生活も変わり、人生も何でもチャレンジしようと思うようになりました。
ようやく自分らしさが目覚めてきたといえましょう。ここからはすべてバラ色の時代といっても過言ではありません。カラースクールで勉強したことを皆さんにお伝え出来る幸せ、カラー診断をして喜ばれるお顔をみる喜びはひとしおでした。その時はお仕事出来ることが満足ですべてでした。
名刺を出すことが嬉しかった時代でした。

 

自分らしく生きる

カラーアナリストになった時、高坂美紀さんの「カラーコーディネーターになるための本」という1冊の本に出会いました。

強い衝撃が走りました。凄い、そうありたい!
何回も精読して書き写してきました。音読しました。

そしてこの文章を読んだその日から今日まで、私はその意識を忘れたことはありません。だから、明るい色のウィッグをかぶったり、ビビッドな色の服を着て華蓮ワールドを作ることが出来ています。

もう一つは生活感を消すこと、非日常感をいつも漂わせていることを目標に生きてきました。
それが、私の自信になり、個性になっています。

 

ライフスタイルデザイナーとしての使命を知った60代

60代になり、起業家の交流会にも積極的に参加するようになり、たくさんの方々との交流、学びを得られるようになりました。

そのような中で「華蓮さんは舞台に立っている。でもライトはついていない、まだ幕は閉じている。ライトを点ける人が現れれば成功する。」と言われていました。その時は自分でつけるよと思っていたのですが、自分の感性を大切に行動していく中でライトをつけて下さる方々にも出会うことが出来ました。

華蓮が皆さんにお伝えしたいことはそれぞれマイストーリーのヒーロー、ヒロインです。皆さん自分の人生を他人ごとにしないで自分で最期まで責任を持って自分を生きぬいて下さい。

私はどうやらずっと現役で仕事をし続ける運命のようです。
しかもいつまでも元気で若々しく長命。
周りの方々にこの元気と人生の楽しさ、素晴らしさをいつでもいつまでもお伝えすることこそが私の使命であり幸せです。
そして、そのことがみなさんへの幸せにつながるのだと確信しています。